2003年、北部地方にエボラ出血熱が流行。死亡者は100名以上に及んだ。また、同国を生息地とするゴリラへも感染が飛び火し、全個体数の2/3が死亡したと発表されている。
和平合意により2005年に大統領選挙と国民議会選挙を行い民主的政権に移管する予定だったが、同年7月に選挙準備の遅れを理由に延期。2006年6月までに実施を予定していたが、実施されたのは同年7月30日であった。2005年12月には、この選挙の前提としての憲法草案に対する国民投票が行われ、賛成多数で可決した。この結果を受けて2006年2月18日に新憲法が発効された。
政治体制:共和制。
大統領:ジョゼフ・カビラ(任期: 2001年1月26日 - )
内閣:閣僚は大統領が任免。新憲法下で首相職が新設され、現在はアドルフ・ムジトが首相。
議会:立法・憲法制定会議(300議席)が暫定議会として機能
政党:カビラ大統領の与党再建民主人民党 (PPRD)、ADFLの後身人民権力委員会 (CPP) のほか、旧モブツ政権下の独裁政党革命人民運動 (MPR)、そしてキリスト教民主社会党 (PDSC) など。
2002年8月、ムベキ南アフリカ大統領の仲介により、和平が成立した(プレトリア合意)。2003年7月、暫定政府が正式に発足。2005年12月の憲法国民投票を得て2006年7月の選挙が実現した。しかし、各地で武装組織の活動が続き、不穏な情勢の中で投票日を迎えた。
2006年7月30日、大統領選挙と議会選挙が行われた。定数500。8月20日、大統領選挙の暫定公式結果が発表された。当選に必要な過半数の得票率の候補者がなく10月29日に上位二人の決選投票が行われることになった。
独立選挙委員会の発表によると、「大統領多数派連合」から立候補したカビラ暫定政府大統領の得票数は44.81%。元コンゴ解放運動 (MLC) 指導者で暫定政府副大統領のベンバが20.03%で2位。投票率は、約2500万人の登録有権者のうち70%が投票した。
25州及びキンシャサ
2006年までの州コンゴ民主共和国の地方行政は、2006年までは10の州といずれの州にも属さない首都市キンシャサに区分された。2005年憲法で25州制への移行が決められ、2006年2月に国民投票で承認された。憲法226条の規定により36ヶ月後の2009年2月までに移行される。
コンゴ民主共和国の地図コンゴ民主共和国の面積は西ヨーロッパに匹敵する。3分の1が赤道の北側に、3分の2が南側に位置する。非常に雨が多く、雷も地球上で最も多い。年間降雨量は場所により2,000ミリを超え、アマゾンに次ぐ広さの熱帯雨林を抱える。西の大西洋へゆっくり下るコンゴ川の流域は広大なコンゴ盆地の大部分を占める。南はサバンナに続く高地に、西は山がちの台地に、北は草地に囲まれ、最も東には氷河で覆われる高山がある。
コンゴの名前はコンゴ川と植民地以前に存在したコンゴ王国に由来する。流域はコンゴの経済・輸送の背骨であり、住民の日常生活に大きく影響している。アフリカ大地溝帯にあるボヨマ滝の下流のキサンガニから西へ流れ始め、ゆっくり南西に向きを変え、ムバンダカを過ぎてウバンギ川と合流し、プールマレボ(スタンレープール)に注ぐ。キンシャサとブラザヴィルはこのプールの対岸同士である。ここから川幅が狭くなり、峡谷にはいくつもの
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と瀑布があり、集合的にリビングストン滝と呼ばれる。アマゾン川に次ぐ流量と流域面積を誇るが、コンゴが大西洋に面する部分はコンゴ川の北側40kmに過ぎない。
大地溝帯は火山活動を起こし、アルバート湖、エドワード湖、タンガニーカ湖などの大湖を形成した。最も重要なのは南部と東部にある膨大な鉱物資源を地表へ露出させ採掘可能にしたことである。コバルト、銅、カドミウム、ダイアモンド、金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱、石炭がすべて豊富にあり、とくに南東部カタンガ地域が有名である。2002年1月17日に噴火したニーラゴンゴ火山の溶岩は幅50m、時速60kmの早さで流れ、ゴマ市付近を襲い、45人を死亡させ、12万人の家を奪った。40万人が避難し、キブ湖の魚が全滅した。半年後には近くのニャムラギラ火山も噴火し、2006年に再噴火している。
主要都市:ルブンバシ、ムブジ・マイ、キサンガニ、カナンガ、ゴマ、ムバンダカ、マタディ、ブガブ
首都キンシャサ地下資源に恵まれるものの、1990年代の内戦などでインフラは破壊され、経済は壊滅状態となっており、世界最貧国の1つとなっている。
銅、コバルト、ダイヤモンド、カドミウム、黄金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱石、石炭などを産する世界トップクラスの鉱産資源国であり、輸出の約9割を鉱産資源が占める。コバルトの埋蔵量は世界の約65%。かつてはウランの採掘も行われており、1945年に広島市に投下された原子爆弾の原料はベルギー領コンゴ国産であった。
コンゴの言語地図民族:バントゥー系、スーダン系、ナイル系などの黒人が大半を占める。
言語:公用語はフランス語。その
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にキスワヒリ、コンゴ語、リンガラ語、ルバ語など多数
宗教:キリスト教のカトリックが約半数。プロテスタントが2割。イスラム教が1割
ポピュラー音楽においては、植民地時代の1930年代、1940年代にキューバからルンバなどのラテン音楽がもたらされ、ベルギー領コンゴでも盛んにラテン音楽の演奏が行われた。また、1950年代にはアメリカ合衆国のジャズもアフリカン・ジャズとして盛んに受容された。
1969年にザイコ・ランガ・ランガが結成された後のポピュラー音楽はキューバ音楽の模倣を越えてザイール音楽を形成し、その流れのままザイールのポピュラー音楽はルンバ・ロックやリンガラ・ポップスと呼ばれるようになった。
その他にもピグミー人には独自の
ヒューマン
が存在する。
コンゴ民主共和国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が5件存在する。詳細は、コンゴ民主共和国の世界遺産を参照。
ポソ宗教戦争(ぽそしゅうきょうせんそう)は、インドネシア中部スラウェシ州北東沿岸部の主要な港であり交通の中心であるポソで1998年末から2001年の末までに起こった宗教戦争の事である。
1998年末、ムスリムとキリスト教徒のあいだで抗争が勃発。 1000人〜2000人以上が死亡、10万人程が避難民となる。2001年 12月、政府の 調停で、ムスリムとキリスト教徒の和平合意(マリノ合意)が結ばれ、宗教抗争は 沈静化に向かった。 死者数、避難民の数は正確にはわかっていない。
第二次チェチェン紛争(だいにじちぇちぇんふんそう)とは、チェチェン独立派と、ロシア連邦及びロシアへの残留を希望するチェチェン人勢力との間で発生している紛争であり、一般的にソ連崩壊直後から1996年まで続いたものを第一次チェチェン紛争、1999年に勃発したものが第二次チェチェン紛争と分類されている。
2006年現在、過激派指導者シャミル・バサエフが殺害されるなど、独立派勢力の弱体化が指摘されるものの、未だ小規模なテロ事件などが発生しており、紛争は継続中であるといえる。
ロシアからの独立を目指した第一次チェチェン
リサイクルトナー
は1996年に一応の終結を見ていた。1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され、5年間の停戦が合意されていた。
ところが1999年8月、シャミル・バサエフに率いられた1500名程のチェチェン人武装勢力がの隣国ダゲスタン共和国へ侵攻し、一部の村を占領するという事件が発生する。また同時期にモスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し、百数十名が死亡した。これを受けてロシア政府はチェチェンへの軍派遣を決定。9月23日にはロシア政府が「テロリスト掃討」のため、再びチェチェンへの空爆を開始し、ハサヴユルト協定は完全に無効となった。
戦争の最初の数ヶ月間、ロシア連邦軍は地上部隊による攻撃よりも制空権の優位性をうまく利用した。 そのため多くの死傷者を出さずにすんだが、そののちグロズヌイや他の主要都市への激しい絨毯爆撃や弾道ミサイルによる攻撃を行うようになった。 チェチェン共和国の回廊地帯は、都市の市民たちの避難場所になった。 独立派は彼らの避難を妨げることがあったとの証言もある。
西側諸国はロシア連邦軍による抵抗運動の処遇や、ロシア側、チェチェン側双方で行われた拷問、強姦、略奪、密輸出入、横領などの犯罪を非難している。 ロシア側は武装勢力に対する攻撃の中でクラスター爆弾、燃料気化爆弾、弾道ミサイルなどを使用したが、これらの攻撃によって民間人への被害も発生している。
2002年3月、イスラム原理主義の抵抗運動のリーダーであるアミール・ハッターブが殺害された。 アミール・アブ・アルワリドが跡を引き継いだ。